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コミュニケーションに「テクニック」を使うのは卑怯なのか?

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こんにちは!コミュニケーション講師歴10年のじゅりんです。

コミュニケーション講師をしていると、稀にですがこんな質問を受けることがあります。

コミュニケーションにテクニックや技術を学ぶって、なんか卑怯とか姑息な感じがするんですけど…人柄じゃないんですか?

あなたはどう考えますか?

目次

コミュニケーションの技術を使うことが、なぜ卑怯なの?

コミュニケーションにテクニックを使うことは、卑怯でも姑息でもありません。むしろ、多くの人が積極的に身につけるべき技術です。

逆に「なぜ卑怯なのか?」を知りたいくらいですが、おそらくそれは「学校で教えてもらっていないこと」だからなのかなと推測したりします。自分が知らない、教えてもらっていない技術を使うことをズルいと感じる人が世の中には存在するようです。

ちょっと脱線しますが、職場の時間のかかる事務処理を、新人さんがエクセルの自動集計であっという間に終わらせることを「心がこもっていない」などと非難することと同じようなものではないかと。

学校は、集団生活の中で自分で身につけなさいのスタンス

残念なことに、小学校から大学までコミュニケーションの技術について学ぶことはほとんどありませんでした。今は…少しはそういう時間があるんですかね?

基本的にコミュニケーション能力とは「集団生活を送る中で自然と身につけていくもの」という認識だったのではないかと考えられます。

しかし、そもそもその集団生活自体に馴染むことができなかった人はどうなるのでしょうか?孤立してしまった人はどうやって身につけていけばいいのでしょうか?

経験値を増やして、コミュニケーション能力を自然と身につけることも確かに大切なことですが、性格的に内気であったり、人と関わるのが苦手であったりする人は、その経験値を増やすことさえ難しくなります。

やはり本来ならば、小学生の頃から簡単なことでもいいのでコミュニケーションの技術を時間をとって、皆が平等に学ぶべきだと思うのです。

コミュ障気味だったぼくを救ってくれたのもコミュニケーションの技術

ぼく自身も、一時期誰ともコミュニケーションが取れなくなってしまったことがありますが、「どうすれば人と仲良くなれるのか?」「どうすれば自然と会話することができるのか?」そんなことをずっと考えていました。

結局、ぼくを救ってくれたのは「コミュニケーションの技術」でした。「こうすれば人と仲良く話すことができる」「こうすれば自然と会話を続けられる」…こういった技術を教えてもらい、実践したことで、プライベートでも仕事でも人と繋がることができるようになったのです。

正確に言うと、できるようになるきっかけ…「コミュニケーションをとってみようかな…」と一歩足を踏み出す勇気を手に入れることができたのです。そうしたことで、経験値を増やすことができましたし、今ではコミュニケーション講師なんて仕事もいただいています。

コミュニケーションの技術は、思いやりの上に成り立っています

コミュニケーションの技術は、基本的に相手のことを思いやることを前提として成り立っています。そして、同時に自分自身も気持ちよくいれることも含んでいます。

せっかくコミュニケーションをとるのですから、お互いが楽しく気持ちよく会話できた方がいいですよね。そのために技術を使うことに何の問題があるでしょうか。

ただし、中にはこの技術を悪用する人も確かにいます。ですが、それはその人自身のパーソナリティーの問題であって、技術が悪いわけではありません。ハサミを悪用する人がいたとして、ハサミが悪ということではないのと同じです。

これからも仕事やプライベートの人間関係に使えるコミュニケーションの技術を発信していきます

ということで、少し語り過ぎてしまいましたが、やはりコミュニケーションの技術は身につけておいて損はない…というより、身につけるべきものだと思います。

なんとなくコミュニケーションが取れている…ではなく、コミュニケーションの技術のそれぞれには、相手にどう感じさせる役割がある…こういったことを知り、使えるようになることは、目の前の相手のことをより大切にすることにつながります。

そんなわけで、仕事やプライベートの人間関係をさらによくしていくためのコミュニケーションの技術をこれからも発信していきたいと思います!!

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